19 March 2015

活着这回事

金八先生第七季的尾端,以及特别篇里,故事重点人物 - 一名涉毒男学生陷入困境时,全班对他念日本诗人,谷川俊太郎的《生きる》(翻译:活)。

活着这回事嘛,看法因人而异,各有各取向,各花入各眼。有人喜欢刺激,有人喜欢沉静,有人喜欢热闹,有人喜欢独处,有人喜欢被注目,有人喜欢低调。



活着这回事,好坏美丑是非对错一言难尽。但,若能在普通的不得了,在生活里简单的事物中能活出生命的意义,是在也好不过的事情。试想想,满足地喝水,满足地咀嚼椰菜花,满足地呼吸,满足地散步,心灵毫无不平衡,这不就是圆满的生命?

从生命的当下中萃取最平淡的欢乐,不为什么而开心;脱离世俗的框架而活着,不为什么而笑。无论是谁都好,假设能够活得如此自在,也会抛开希望是非对错的标准,认同这是快乐的生命。


禅宗角度说,一粒沙内有含藏整个宇宙,一切事情在它本然状态内将展现出自然的奥美,好像弘一法师吃出茶淡饭,人家问他后,他回答【淡也有淡的味道】。有过宗教体验的人,也会在一段时间内,在过去熟悉不过的日常生活场景中,前所未有地体验到眼前所有事情是多么赏心悦目的感觉,也会不禁感叹过去的自己竟然会忘了他们

《生きる》就是描述着当下的美。这首诗里面所引述的生活小举动,再也单调不过的情节,来抒发作者心中活着这回事意味着什么意义。

我日语很烂,但是水准普通的字幕足以让我欣赏这首诗。(日文汉译并非出自我手,而是不知名的翻译团队,影片中只写《JBH and Happy Town》)



生きているということ 所谓生存,
いま生きているということ就是活在当下,
それはのどがかわくということ就是喉咙会渴,
木もれ陽がまぶしいということ 就是太阳照耀,
ふっと或るメロディを思い出すということ 就是突然想起一段旋律,
くしゃみをすること 就是打出个喷嚏,
あなたと手をつなぐこと  就是和你手牵手。

生きているということ 所谓生存,
いま生きているということ就是活在当下,
それはミニスカート 就是迷你裙,
それはプラネタリウム 就是星象仪,
それはヨハン·シュトラウス 就是约翰斯特劳斯,
それはピカソ
就是毕加索,
それはアルプス
就是阿尔卑斯山,
すべての美しいものに出会うということ 就是遇到一切美好事物,
そして...かくされた悪を注意深くこばむこと 还有就是拒绝所有的罪恶。

生きているということ 所谓生存,
いま生きているということ 就是活在当下, 
泣けるということ 就是哭泣, 
笑えるということ 就是欢笑,
怒れるということ 就是愤怒, 
自由ということ 就是自由自在。

生きているということ 所谓生存,
いま生きているということ 就是活在当下,
いま遠くで犬が吠えるということ 就是现在小狗在吠,
いま地球が廻っているということ
就是现在地球在不停转,
いまどこかで産声があがるということ 就是现在某个婴儿发出第一声哭啼,
いまどこかで兵士が傷つくということ
就是现在某个战场的士兵正在忍受伤痛,
いまぶらんこがゆれているということ
就是原谅别人的误解和背叛,
いまいまが過ぎてゆくこと
就是现在时间不停地前进。

生きているということ
所谓生存,
いま生きているということ
就是活在当下,
鳥ははばたくということ
就是小鸟展翅,
海はとどろくということ
就是海浪冲刷,
かたつむりははうということ
就是梦想成真, 
人は愛するということ 就是人们相爱,
あなたの手のぬくみ...いのちということ 就是牵着你的手共用生命。

我倾向喜欢简单的东西,因为假设简单的方法就能让人了解你的心思,假设简单地活着就能满足,何乐不为?

假设生命中的琐碎事当下就是美好的事物,何不多点观察、细赏,体会呢?
 


唐朝庞居士经典名句中的一句:【神通并妙用,运水及搬材】,就有这消息。Om 阿乌。

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